2017年 06月 17日
2017年のしゃおしゃんの気仙のお茶摘み |
目まぐるしく過ごした一ヶ月がやっと一段落しました。さあて、何からご報告したらよいか・・。まずは、毎年恒例のしゃおしゃんの、気仙のお茶摘みから。
5月下旬、13年目となった、陸前高田と大船渡でのお茶摘みは、初めて雨で中止を考えなければならない状況でした。今まで、前日まで、あるいは当日朝まで雨、ということはありましたが、集合時間になってもまだ雨、ということがありませんでした。手摘みで、参加くださる仲間の皆さんと日程を合わせるために、週末中心に数日前から日どりを決めるという、いわばお茶やお空の都合よりも人間の都合を優先しているので、やむを得ないこと。むしろ今まで10回以上、雨に当たらなかったことの方が稀有なことだったんだ、と今さらながら痛感しました。
一日目の午前中は、それでも、明るい曇り空の、摘みやすい天候で、野点も楽しみました。
お昼を食べている頃に、雨が降り始め、強まっていきました。雨が止むかどうか、2時まで待ってみましょう、と待機。
茶摘み参加者の皆さんが、合羽を着てお茶の木を見に来てくれました。「せっかく来たし、こんなにいい芽が出ているのだから、是非摘みたい」と言ってくれる人もいました。もう何度もこのお茶の木を摘んでくれている人です。除染のための剪定にも参加してくれて、ずっとこのお茶の木を見てきた人の気持ちが、私の心にしみました。
私は空に向かって「今年1回だけのお茶摘みです、なんとか摘ませてくれませんか。美味しいお茶にして、たくさんの人に飲んでいただきたいのです」とお願いしました。
するとどうでしょう。この時間まで待とう、といった時間になる頃には、小雨になり、そして止んだのです。
なんというか、本当は降りたいけど、ぐっと抑えて我慢してくれている、という感じ。
みんなで、それっ!と茶の木を囲んで摘みました。
二日目も朝から雨。皆さん合羽や雨具持参で集合してくれました。それでも、開始時間の9時を過ぎると小雨、そして上がってくれました。快調に摘んで少し休もうと集まった10時過ぎ、お茶を飲もうとすると、また大粒の雨。まるで私達を見ているかのようです。「休むなーって言ってるのかな」と思うほど。
「10時半まで待ちましょう。それで上がらなければ今日は止めましょう」それまでは各自車で待機してもらうほどの雨でした。
でも、きっと今日も摘ませてくれる、お天道様は・・・。なんの根拠もありませんが、私は落ち着いていました。
するとやはり、しっかり降っていた雨が、10時半になる頃には止み始めたのです。空も少し明るくなってきました。車から出て集まってくださる参加者の皆さん。それからお昼まで、無事に摘むことができました。
結果として、二日間で1釜分、しゃおしゃんの茶摘み分だけの茶葉を、製茶工場で製茶してもらうことができました。
雨に濡れた茶葉は、製茶の条件としてはよくないし、今年は雨が多く、前日も雨でしたので、茶葉の内質も決して理想的ではないと思います。晴れが続いた3日目に摘むのが一番だ、と、台湾で教わったこともありました。
それでも、出来上がったお茶は、やっぱり、しゃおしゃんのお茶が求めている清らかな味わいと力強さを持っています。茶湯を口に含むと渋味の後に甘みが広がり、舌や口腔全体が波打つように唾液で潤います。お腹から身体全体が温まってくる気がします。飲み終えて、頭の後ろがスーっと爽やかで、首や肩を優しく伸ばしたり、姿勢を内側から正したり、通りの悪い鼻やこめかみを通すような感じを私は持ちます。それから、なにか、お茶が私を丸ごとフワッと抱き上げてくれるようなやさしさも感じます。
味も、例年暑い中摘んで、萎凋が自然に進んでいるものに比べて、萎凋が少ない分、フレッシュな緑茶の風味が強いと言えなくもないです。
初めてこのお茶を試飲した時、たまたま手に取った茶碗に文字が書いてありました。
「知足」
足りないことや至らないことを数え上げればたくさんありますが、今年、参加くださる皆さんが雨の中も駆けつけてくださり、これらの茶葉を摘めたこと、製茶工場で製茶していただいたこと、お天道様の情けで、茶摘みを許されたこと、何より、摘ませてくださるお茶の木の持ち主がいらっしゃり、更にはその方々のご先祖様がこの木を植えて育ててきたこと・・・。その結果として、たった少しですが、しゃおしゃんのお茶が今年もできたことは、やっぱり一つの、精一杯の奇蹟なのだな、と思います。
今年は、少しずつですけれど、飲みたいとおっしゃってくださる方に有料でお分けしたいと思っています。今しばらくお待ちくださいませ。
5月下旬、13年目となった、陸前高田と大船渡でのお茶摘みは、初めて雨で中止を考えなければならない状況でした。今まで、前日まで、あるいは当日朝まで雨、ということはありましたが、集合時間になってもまだ雨、ということがありませんでした。手摘みで、参加くださる仲間の皆さんと日程を合わせるために、週末中心に数日前から日どりを決めるという、いわばお茶やお空の都合よりも人間の都合を優先しているので、やむを得ないこと。むしろ今まで10回以上、雨に当たらなかったことの方が稀有なことだったんだ、と今さらながら痛感しました。
一日目の午前中は、それでも、明るい曇り空の、摘みやすい天候で、野点も楽しみました。
お昼を食べている頃に、雨が降り始め、強まっていきました。雨が止むかどうか、2時まで待ってみましょう、と待機。
茶摘み参加者の皆さんが、合羽を着てお茶の木を見に来てくれました。「せっかく来たし、こんなにいい芽が出ているのだから、是非摘みたい」と言ってくれる人もいました。もう何度もこのお茶の木を摘んでくれている人です。除染のための剪定にも参加してくれて、ずっとこのお茶の木を見てきた人の気持ちが、私の心にしみました。
私は空に向かって「今年1回だけのお茶摘みです、なんとか摘ませてくれませんか。美味しいお茶にして、たくさんの人に飲んでいただきたいのです」とお願いしました。
するとどうでしょう。この時間まで待とう、といった時間になる頃には、小雨になり、そして止んだのです。
なんというか、本当は降りたいけど、ぐっと抑えて我慢してくれている、という感じ。
みんなで、それっ!と茶の木を囲んで摘みました。
二日目も朝から雨。皆さん合羽や雨具持参で集合してくれました。それでも、開始時間の9時を過ぎると小雨、そして上がってくれました。快調に摘んで少し休もうと集まった10時過ぎ、お茶を飲もうとすると、また大粒の雨。まるで私達を見ているかのようです。「休むなーって言ってるのかな」と思うほど。
「10時半まで待ちましょう。それで上がらなければ今日は止めましょう」それまでは各自車で待機してもらうほどの雨でした。
でも、きっと今日も摘ませてくれる、お天道様は・・・。なんの根拠もありませんが、私は落ち着いていました。
するとやはり、しっかり降っていた雨が、10時半になる頃には止み始めたのです。空も少し明るくなってきました。車から出て集まってくださる参加者の皆さん。それからお昼まで、無事に摘むことができました。
結果として、二日間で1釜分、しゃおしゃんの茶摘み分だけの茶葉を、製茶工場で製茶してもらうことができました。
雨に濡れた茶葉は、製茶の条件としてはよくないし、今年は雨が多く、前日も雨でしたので、茶葉の内質も決して理想的ではないと思います。晴れが続いた3日目に摘むのが一番だ、と、台湾で教わったこともありました。
それでも、出来上がったお茶は、やっぱり、しゃおしゃんのお茶が求めている清らかな味わいと力強さを持っています。茶湯を口に含むと渋味の後に甘みが広がり、舌や口腔全体が波打つように唾液で潤います。お腹から身体全体が温まってくる気がします。飲み終えて、頭の後ろがスーっと爽やかで、首や肩を優しく伸ばしたり、姿勢を内側から正したり、通りの悪い鼻やこめかみを通すような感じを私は持ちます。それから、なにか、お茶が私を丸ごとフワッと抱き上げてくれるようなやさしさも感じます。
味も、例年暑い中摘んで、萎凋が自然に進んでいるものに比べて、萎凋が少ない分、フレッシュな緑茶の風味が強いと言えなくもないです。
初めてこのお茶を試飲した時、たまたま手に取った茶碗に文字が書いてありました。
「知足」
足りないことや至らないことを数え上げればたくさんありますが、今年、参加くださる皆さんが雨の中も駆けつけてくださり、これらの茶葉を摘めたこと、製茶工場で製茶していただいたこと、お天道様の情けで、茶摘みを許されたこと、何より、摘ませてくださるお茶の木の持ち主がいらっしゃり、更にはその方々のご先祖様がこの木を植えて育ててきたこと・・・。その結果として、たった少しですが、しゃおしゃんのお茶が今年もできたことは、やっぱり一つの、精一杯の奇蹟なのだな、と思います。
今年は、少しずつですけれど、飲みたいとおっしゃってくださる方に有料でお分けしたいと思っています。今しばらくお待ちくださいませ。
by xiaoxiangtea
| 2017-06-17 19:12