2014年 03月 26日
3月の近況報告です! |
雪の多かった3月でしたが、ここ数日でだいぶだいぶ暖かくなってきました。
東京の方では、桜の便りもあるようですね。皆様のところではいかがですか?
さて、3月のしゃおしゃんの報告をします!
3月はお茶会三昧のひと月でした。(あと数日ありますが・・)
しゃおしゃんの茶会としては、13日の善隣館茶会、17日の矢巾ゆりかごさんでの茶会、18日の雫石町健康講座での茶会がありました。
また、気仙茶関連では、6日は米崎中学校仮設住宅集会場、15日は大船渡のおもてなし隊事務所や居場所ハウス、24日は広田水産高校グランド仮設住宅集会場、28日は陸前高田市立図書館(竹駒コミセン)で、お茶を飲みながら語る会を行いました。
(気仙茶関連の茶会の様子は、北限の茶を守る気仙茶の会のブログでご覧いただくことができます。是非、ブログを覗いてみてください)
お茶を一緒に飲みながら、昔のお茶づくり、そして、おやつのこと、お茶請けのこと、年中行事のことまで話が広がります。お互いに昔の経験を聞きあって、思い出しあって、場がとても和やかで楽しい場になることも多いです。一つ急須のお茶を一緒に飲むというのも、場を作っている要素かもしれませんが、一番は、昔の懐かしい思い出が、その方を支えるのかな、とも思います。
一昨日のお茶会では、とても嬉しいお言葉をいただきました。「今日は楽しかったなあ。こういうのを『話の虫干し』っていうんだよ。一杯話して、笑って。楽しかった!」と。ありがたいねぎらいと励ましのお言葉だと思いました。
そういう場が、喜んでいただけるなら、本当にどこへでも、お茶道具を持って飛んでいきたいです。
このところ、何度か、別の車に乗せていただき、古いカーナビを使って目的地まで行きました。カーナビの指示通りに進むと、震災後は通ったことのなかった、浸水区域を通ることがよくありました。土台だけが残り、建物は何もない道。そこは、街並みがあったはずの道です。
仮設住宅でお会いする方々も、本来であれば、それぞれのおうちをお訪ねしてお会いするはずの人たちだと思います。あったはずの家、あったはずの街、いたはずの人、がたくさんあるのです。
何度もお訪ねしていて、だんだんに今、目に映るものや出会うことに慣れてしまって、麻痺してしまわないように・・・心したいと思います。
昔の暮らしのお話をお茶を飲みながらお聞きしていると、失った家、物、暮らしになり、「でも全部津波で流れたからな」と終わってしまうことも少なくありません。思い出して辛い思いをなさっているのではないか、と思うこともあります。
そこは、本当に、話し手の方のお気持ちをお察ししながら、ですが、それでもなお、お話しくださるとしたら、それは是非ともお聞きしたい、教えていただきたいと思っています。そして、記録させていただきたい。形ある物はなくなっていたとしても、皆様の暮らしはそれぞれの記憶の中に確かに存在しています。
東京の方では、桜の便りもあるようですね。皆様のところではいかがですか?
さて、3月のしゃおしゃんの報告をします!
3月はお茶会三昧のひと月でした。(あと数日ありますが・・)
しゃおしゃんの茶会としては、13日の善隣館茶会、17日の矢巾ゆりかごさんでの茶会、18日の雫石町健康講座での茶会がありました。
また、気仙茶関連では、6日は米崎中学校仮設住宅集会場、15日は大船渡のおもてなし隊事務所や居場所ハウス、24日は広田水産高校グランド仮設住宅集会場、28日は陸前高田市立図書館(竹駒コミセン)で、お茶を飲みながら語る会を行いました。
(気仙茶関連の茶会の様子は、北限の茶を守る気仙茶の会のブログでご覧いただくことができます。是非、ブログを覗いてみてください)
お茶を一緒に飲みながら、昔のお茶づくり、そして、おやつのこと、お茶請けのこと、年中行事のことまで話が広がります。お互いに昔の経験を聞きあって、思い出しあって、場がとても和やかで楽しい場になることも多いです。一つ急須のお茶を一緒に飲むというのも、場を作っている要素かもしれませんが、一番は、昔の懐かしい思い出が、その方を支えるのかな、とも思います。
一昨日のお茶会では、とても嬉しいお言葉をいただきました。「今日は楽しかったなあ。こういうのを『話の虫干し』っていうんだよ。一杯話して、笑って。楽しかった!」と。ありがたいねぎらいと励ましのお言葉だと思いました。
そういう場が、喜んでいただけるなら、本当にどこへでも、お茶道具を持って飛んでいきたいです。
このところ、何度か、別の車に乗せていただき、古いカーナビを使って目的地まで行きました。カーナビの指示通りに進むと、震災後は通ったことのなかった、浸水区域を通ることがよくありました。土台だけが残り、建物は何もない道。そこは、街並みがあったはずの道です。
仮設住宅でお会いする方々も、本来であれば、それぞれのおうちをお訪ねしてお会いするはずの人たちだと思います。あったはずの家、あったはずの街、いたはずの人、がたくさんあるのです。
何度もお訪ねしていて、だんだんに今、目に映るものや出会うことに慣れてしまって、麻痺してしまわないように・・・心したいと思います。
昔の暮らしのお話をお茶を飲みながらお聞きしていると、失った家、物、暮らしになり、「でも全部津波で流れたからな」と終わってしまうことも少なくありません。思い出して辛い思いをなさっているのではないか、と思うこともあります。
そこは、本当に、話し手の方のお気持ちをお察ししながら、ですが、それでもなお、お話しくださるとしたら、それは是非ともお聞きしたい、教えていただきたいと思っています。そして、記録させていただきたい。形ある物はなくなっていたとしても、皆様の暮らしはそれぞれの記憶の中に確かに存在しています。
by xiaoxiangtea
| 2014-03-26 17:42